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名古屋高等裁判所 昭和52年(ネ)567号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

株式会社大隈鉄工所

右代表者

大隈孝一

右訴訟代理人

佐治良三

外六名

被控訴人(附帯控訴人)

吉川清

右訴訟代理人

水野幹男

外八名

主文

一、本件控訴及び附帯控訴に基づき原判決主文第二ないし第五項を次のとおり変更する。

1  控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し金九二六万三一四三円及び別紙(五)未払賃金表の各月欄記載の金員につきいずれもその月の二六日より支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し金三〇〇万五七八二円及び別紙(四)記載の各金員につきいずれも支払日欄記載の各支払日の翌日より支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。

3  控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し昭和五五年四月一日より同年五月三一日まで毎月二五日限り一カ月金一二万五一〇〇円の割合による金員、同年六月一日より毎月二五日限り一カ月金一三万四一〇〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二六日より支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。

4  被控訴人(附帯控訴人)のその余の請求を棄却する。

二、控訴人(附帯被控訴人)のその余の控訴を棄却する。

三、訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を被控訴人(附帯控訴人)の、その余を控訴人(附帯被控訴人)の各負担とする。

四、この判決は、第一項1ないし3に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一、二〈省略〉

三〈中略〉

4 次に被控訴人が九月二九日午前八時頃控訴人に対し右合意解約の申入れを取消す旨の意思表示をした事実は当事者間に争いがないところ、後記認定のとおり右意思表示は合意解約申入れを強迫によるものとして取消す趣旨のものではなく、右の申入れを単純に撤回するものであつたと解するのが相当である。そして、右撤回の当時、被控訴人の申入れに対する控訴人の承諾は未だなされていなかつたことは前認定のとおりであるから、右の撤回が合意解約成立後のものとして許されない旨の控訴人の主張は理由がない。

更に控訴人は、右の撤回が解約申入れの拘束力によつて許されない旨及び信義に反する撤回として許されない旨を主張するので、以下この点について検討する。

判旨一般に雇傭契約の合意解約の申入れは、雇傭契約終了の合意(契約)に対する申込みとしての意義を有するのであるが、これに対して使用者が承諾の意思表示をし、雇傭契約終了の効果が発生するまでは、使用者に不測の損害を与える等信義に反すると認められるような特段の事情がない限り、被用者は自由にこれを撤回することができるものと解するのが相当である。けだし、民法はその五二一条以下において契約の申込みに対し一定の拘束力を認めているが、右の規定はこれから新しく契約を締結しようとする申込みの場合に典型的に機能するのであつて、これまで継続的に存続してきた雇傭関係を終了させようとする合意についての申込みの場合とは同列に論ずることができない。のみならず、被用者からなされた雇傭契約合意解約の申入れの場合には、一時的な衝動から不用意になされることも往々にしてあることを考えると、雇傭契約を従前どおり存続させる趣旨での合意解約申入れの撤回は原則として自由にこれを許し、一方これから生ずる不正義な結果は、信義に反すると認められる特段の事情が存する場合に、一定の制限を加えることにより回避することができると解せられるからである。

したがつて、被控訴人のした合意解約の申入れは民法五二四条による拘束力を有しこれを撤回することは許されないという控訴人の主張は採用することができない。そこで本件について右の撤回に信義に反する点があるかどうかを検討す判旨る。前記認定事実によれば被控訴人は自己の判断で退職を申出た上、控訴人側の慰留を振切つて退職願を提出したのに、翌朝にいたつて控訴人からの強迫を理由として右の申入れを取消すと申出たものであつて、そのような強迫の事実が認められないことも前認定のとおりである。そうすると、控訴人側が、被控訴人の右取消しの意思表示は無根の事実を構えていいがかりをつけたものと受けとり、上村問題の調査に対する被控訴人の必ずしも誠実とはいえない対応の仕方と相俟つて、被控訴人に対する不信の念をつのらせ、被控訴人の右取消しの申込れを拒否したこともやむをえないものがあつたといわざるをえない。この点において被控訴人はその思慮の浅さと自主性のなさとを非難されても致し方ないものというべきである。しかしながら他方、被控訴人は上村問題について合田人事部長をはじめとする控訴人側の上司から連日のように調査を受け、この間自己及び上村が民青同盟員であることを何とか秘匿しようと努めていたのに、右の事実を控訴人側が知つていることを覚知するに及んで強い衝撃を受け、この上は会社に留まつても自己の将来に見込みはないと考えて、咄嗟に退職を申出で、民青同盟に属することを理由に辞める必要はないとの合田部長の説得も聞き入れずに退職願を提出したことも前認定のとおりであつて、このような被控訴人の言動も、当時二四歳で入社後半年を経過していない同人の立場を考慮すれば首肯できないわけではない。そして翌朝被控訴人が前記取消しの意思表示をしたのは前夜の友人や弁護士らとの相談の結果に基づくものであることも前認定のとおりであつて、当時被控訴人が置かれていた状況やその年令、経歴等から見ると、被控訴人が解約申入れの単純な撤回と強迫による取消しとを明確に区別して認識していたものとは認め難く、むしろ被控訴人は一旦した解約申入れの効果を打消して旧に復させるためには何らかの理由が必要であると考えて強迫という主張をしたものであると認められる。一方、控訴人が前夜の被控訴人の解約申入れを承諾するかどうかを会社として未だ正式に決定していなかつたこと前認定のとおりであるから、控訴人としては被控訴人の言葉にこだわることなくその真意を確かめるだけの余裕を持つことが期待されてしかるべきである。ところが控訴人はそのような態度をとることなく、被控訴人のいうような強迫の事実がないことを理由に、その取消しの意思表示に全く取り合わなかつたものであつて、この態度は、民青同盟に属することは思想・信条の問題であつてこれを理由に退職する必要はないとして被控訴人を慰留しようとした前夜の態度と相反するものがあるとされても致し方がないというべきである。以上の事情を総合して考えれば、被控訴人が一旦なした雇傭契約の合意解約の申入れを一五時間後の翌朝になつて撤回したことについては、それが控訴人に対し不測の損害を及ぼす等信義に反する特段の事情があつたと認めることはできないといわざるをえない。

なお、控訴人は退職願の撤回を認めた前例は全くないと主張するけれども、〈証拠〉によると、退職願の提出に対し控訴人が慰留し、結局は退職を承認したがその間若干の時日が置かれた事例のあることが認められるので、控訴人の従前の取り扱いが退職申出の撤回を全く許さないものであつたとすることはできない。

5 以上において検討したところからすれば、被控訴人の退職願の提出による解約申入れの意思表示は、その撤回により効力を失つたものというべきであるから、その後において控訴人がこれを承諾する意思表示をしても、本件雇傭契約終了の効果は発生しないことが明らかである。

したがつて、被控訴人は退職願を提出した翌日である昭和四七年九月二九日以降も控訴人の従業員たる地位を有しているものといわなければならない。原判決のこの点に関する判断は、以上と趣を異にするものであつて、その理由において不当であるけれども、被控訴人が右の地位を有することを確認したその結論において正当である。

四〈中略〉

5 消滅時効の主張について

控訴人は、賃金及び一時金はその履行期から二年の経過によつて消滅時効にかかるから、被控訴人が請求を拡張した附帯控訴状提出の日である昭和五五年五月七日より二年前である昭和五三年五月七日以前の請求拡張分全部について右時効を援用する旨主張する。

しかしながら、消滅時効中断の原因となるべき裁判上の請求は、具体的な請求権を明示してなす給付訴訟のみに限定されるものではなく、その具体的な請求権か派生する基本的法律関係の存在確認を目的とする訴訟もこれに包含されるものと解すべきところ、被控訴人は本件訴えの当初より本件賃金及び一時金支払請求権が派生する基本的法律関係である控訴人の従業員たる地位の確認を求めているから、控訴人が時効により消滅したと主張する債権部分は、右確認の訴えの提起により時効が中断したかあるいは時効が進行しなくなつたものと解すべきである。

したがつて、控訴人の右主張は採用できない。〈以下、省略〉

(秦不二雄 三浦伊佐雄 喜多村治雄)

別紙(一)〜(五)〈省略〉

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